無謀な挑戦2011/10/22 10:12

昨日、公開授業をやったよ。
何年教師しても、人に授業を見られるっていうのは緊張するね。
初めの15分ほど、私も子どももカチンコチンで
どうなることやろかと冷や汗もの。
でも、子どもの力、集団の力ってたくましいわ。
子どもは、えらい!

物語の最後のところで、火縄銃で撃たれたあと、
「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」と
兵十に言われた時のごんの気持ちを考えせる。すると、
案の定、ほとんどの子が、「うれしかった。幸せだった。
気づいてくれてありがとう。」類の感想をもつ。

償いをして、撃たれて死にかけているのに「怒り」はないん?
まぁ、南吉の初稿でも最後に「ごんは、うれしく思いました。」の
一文があったそうで。
でも、私は、納得がいかない。
物語とともにごんの気持ちを考えてきたのに、
自分がごんの立場だったら
殺されても、理解してくれてありがとう。。。でいいの?

そう考えて、「幸せだった」「幸せでなかった」に分かれて
子ども達に、ディベートをさせたんです。
私も子ども達もディベートは、初めて。
それを公開授業でしようとする、なんと無謀な挑戦・・・。
「ディベートとは、なんぞや。」から教えて、
試しに、「宿題があったほうがいい。」を論題に賛成と反対でやらせてみた。
これは、文句なしに盛り上がった。
それから、ごんの「幸せ」のディベートの準備をたった2日でやった。
結構教師って、「むちゃやなあ。」と思いながらやっているもんなんよ。
ディベートの進め方の要領も飲み込めてないのに・・・
十分準備できてないのに・・・
たくさんの先生が見に来るのに・・・

結果、白熱しましたねぇ。
賛成側、「分かってもらえたから、幸せです!」
反対側、「殺されたら、幸せではないです!」
賛成側、「兵十が後悔して、ごめんという気持ちになっていてごんに通じたので、幸せです!!」
反対側、「ごんは、兵十に謝ってもらっていません。ごめんってどこに書いてあるのですか!!」
賛成側、「あおいけむりが、兵十の気持ちを表しています!!!」
反対側、「ごんには、見えません!!!」

やるなぁ、お前達。
班全員が発表する。聞こえる声で話す。
とだけ言って4つの班に分けて、2回戦やった。
1回戦目は、カチンコチンで10分ぐらいであっけなく終わった。
だけど、その様子をみていた2回戦の子達は、
20分もぶつかりあった。
見てて、おもろかった。
ディベートは、初めてなので形式を簡単にして、判定もしなかった。
終わった後、感想とアンケートをとったら、
楽しかった、また違う論題でやりたい。と私の思惑通りの結果。
こうゆう時、教師はポーカーフェイスして、
「うひょ。」と心の中でピースして v(^ー^)v 喜ぶのです。
そして、ディベートをして考えが変わった子が数人出てくる。
そこがまたディベートの良いところだと思う。

こんどは、どんな論題でやろうか。

自分のイエス・ノーの立場をはっきりさせて、
自分の考えを主張し、相手の意見を考えながら聞く。
最後まで自分の立場で弁論していく。
こんな作業のくり返しのディベートは、日本文化には馴染まないかも知れない。
でも、これからの国際社会に出て行く子ども達には、
この力が必要だと思う。

午後の総括会で、文学作品でディベートをすることに先生達は賛否両論だった。
ごんでディベートをするなんて、誰も考えつかなかったみたい。