小説(誰も知らない物語)①2011/11/17 12:09

 「誰も知らない物語」

        津々井 茜

1

 明治時代創業ごときでは、京都では老舗扱いもされないと聞く。ここ、京都郊外の鄙びた宿も天保年間創業だとの話で、女将に言わせると、別にたいして古いこともあらへん、となる。

「わぁ、雪化粧、風情があるわぁ」
 窓から外を見た綾音は、歓声を上げた。女将がにっこり応じた。

「そうどっしゃろ。今年は雪が多くて難儀してますんやけど、風情だけはありますわな」
 久方ぶりの骨休め。正月もすぎたこの時期に、牧野綾音はなじみのこの宿にやってきた。

「大阪は積もらないんですよ。たまにはふるけど、積もるまでいけへんわ」
「そのほうがよろしやないの。雪に慣れてない上方もんは、雪には難儀しますんえ」

「そらそうやわね」
 しばし綾音は女将と今冬の豪雪の話をした。

「へぇぇ、地球温暖化は豪雪を呼びますのんか」
「ニュースで言うてましたよ。受け売り」
「ここらはまあこんなもんやけど、北国の人は大変どすなぁ」

 京都でも北のほうであるこの地域は、都会に較べれば例年積雪も多い。今年はなおさら多いようだが、風情がある、ですませられる程度なのは幸いだろう。ややあって女将が、それはそうと、と壁を示した。

「暮れに蔵の整理をしてましたら、あんなん出てきましたん」
「見慣れない掛け軸ですね」

 昔ながらの日本の部屋の壁に、地味な和服をまとった地味な女の絵が飾られていた。

「牧野さんは江戸時代がお好きどっしゃろ。名のある画家の絵でもないけど、江戸時代のもんなんはまちがいないいうことで、出してみたんどすけど、いかが?」

「掛け軸にも風情がありますねぇ」
「こういうんは気色悪いて言わはるお客さまもいたはるんやけど、牧野さんやったらそんなことないわねぇ」
「そんなことないですよ」

 気持ち悪くはないけれど、だからといってどうってこともない。そこにかけられているのも忘れてしまいそうな地味な掛け軸は、やがて綾音の意識から締め出された。

 鄙びた温泉に鄙びた食事、田舎料理ではあるが、意外に綾音の好きな白ワインにも合う。なじみの宿なので、綾音の好むワインを用意してくれてあったりもする。ほどほどに満腹してほろ酔いにもなり、早寝するのがここへ来た夜のお決まりだった。

「どこのどなたか存じませんけど、おやすみなさい」
 掛け軸の女に挨拶をしたとき、女の骨格が透けて見えた気がした。

「え? 骸骨? なんでよ。酔うてんのとちゃう?」
 ひとりごとを言ったはずが、返答があった。

「骸骨て? うちのこと?」
「骸骨とちがいますよね。綺麗な女のひとの絵やわ」

「綺麗でもないけど、骸骨といわれるほどでもないつもりやわ」
「そらそうやわ」

 深酔いしたつもりはないが、掛け軸の中の女と話しているのだから、思いのほか酔いが深いのだろう。綾音はそう考えることにした。

「うち、絵? そない言われたら動かれへんなぁ」
「あたしになにかご用?」

「用があるわけやないけど、えらい久しぶりに起きたよってに、話しがしてみとうなった」
「して下さいな」

「うちは絵なんやろ? こわないのん?」
「ぜーんぜん」
 なぜかまったく怖くはない。酔っているからだとしか思えない。

「身の上話を聞かせてちょうだいな」
 骸骨であろうと絵であろうと、江戸時代の女の身の上話を聞ける機会などあるものではない。綾音の作家根性が騒ぐ。

「お生まれはいつ?」
「知らんわ、いつ生まれたかなんか」

「お名前は?」
「忘れてしもた。うちはどのくらい寝てたん?」

「いつのお生まれかわからんから、正確には言えませんけど、ざっと150年くらいかな」
「150年? それやったら骸骨でもしようがないわなぁ」

「そうかも」
 ふふふ、と女が笑う。不気味とは思えず、むしろ愛らしかった。

「うち、寝てたんとちごて死んでたんやね。いつ死んだんかも覚えてないけど、この格好は若い時分やわ。うちの姿とあんたの姿は見えるんえ。若いだけに様子がよろしいやろ」
「はい、とってもお綺麗」

「おおきに。あんたも別嬪さんやわ」
「おおきに、どすえ」

 身の上話かぁ、と目だけ動かして、女は続けた。起き上がったものの寒いので、綾音は布団にくるまって耳をかたむけていた。

「ちょうどこの年頃に遊郭に売られて、苦労したんやけど、ええ男はんと出会いましてなぁ。ええお方やったわ。その方の名前も忘れてしもたけど、遊女にも優しいて実があって、あんなお方、めったといたはらへん」
「名前は忘れても、いい方だったのは忘れない、と」

「そういうもんどすえ。うちは長いこと寝すぎてたから……死んでたから? どっちゃでもいっしょやわ。こまかいことは忘れてしもた。けど、あの方、あとにも先にも好きになったただひとりの方。うちより先に死んでしまいはった方。切腹しはった。このごろ来てくれはらへんなぁ、て思てたら、風の噂で聞いたんどす。切腹して死んでしまいはった、て。そんならどうしようもないやないの。死んでしもた方はどうしようもないやないの。うちはあとを追うわけにもいかへん。うちは生きていかなあかん。けど、うちも死んでしもた。なあ、あの方は冥土にいたはるんやろか」

 静かな静かな夜半、時が止まっているかのように他に物音はない。女の声ばかり低く響く。

「雪がふっとりますんやな。わかるわ。あの晩も寒かった。あの方が亡くなったて聞いた晩にも、こうやって雪がふってた。雪、見たいなぁ。なあ、あの方とふたりでまた雪が見られるやろか」
 答えに詰まっていると、女は言った。

「そうやわ。ふたりとも死んでしもたんやったら、会えるかもしれん。うちもはよぉ冥土に行かな」
「あ、ちょっと……ま」

 待って、と言う前に気配が消えた。

 その夜はそれっきりだった。翌朝、綾音は掛け軸をじっくり見たが、変わった様子などなにもない。翌夜にもなにもなかった。女将に一夜の怪奇現象を話す気にはなれず、大阪の我が家に帰りついてから、藤波俊英に手紙を書いた。

「……とまあ、こういうことがあったんです。
 あの女のひと、明里さんじゃなかったのかなぁ、なんて、都合のよすぎること考えてる? けど、つじつまは合わなくもないでしょ? 
 トシさんだったらきっと言うよね。

「そもそも明里ってのは架空の人物だと言われてるじゃないか。いたかどうかもわからない女が、なんだっておまえの前に絵になってあらわれるんだよ。そういうのをご都合主義と言うんだぞ。そもそもそんな話しだって、俺に言わせりゃ嘘八百。嘘をつくんだったらもっと上手につけよな」

 ごもっともです。
 でもさ、穴だらけだからこそ真実だとも考えられない? 考えられない、酔っ払いの夢だ、って断言されてしまいそうやねぇ」

 遠い昔、絢音がなじみにしている宿のある京都の田舎で、ひとりの娘が生まれた。彼女は当時の貧しい娘の境遇としてありがちにも、京の都に遊女として売られ、遊郭でひとりの武士と出会う。

 明里の名を与えられた娘は、新選組隊士であった武士、山南敬助と恋をし、山南が隊規違反のかどで切腹したのちも彼を想い続けて生き続け、ひっそりと果てた。その有名なエピソードはフィクションだとも言われているが、似たようなことは実際にあったかもしれない。

 山南が隊から脱走したのはたしか冬の終わりごろだった。雪のふる寒い夜だったという話も季節に合っている。

 いずれにせよ、今となっては誰も真相を知りえない物語だ。が、女は今も男を慕い、会いたいと言って冥土を目指して旅立った。成仏したということなのだろうか。

「うーん、しかし」
 ふと、綾音は我に返った。

「そんな名もない娘の肖像画がなぜに残されていたか? それは謎である」

 宿は旧家を改築したものなのだから、明里がその家の生まれで、たまたま旅の絵師でも訪れて描いてくれた絵が残っていた、と考えられなくもない。今となってはすべては綾音の想像の産物。

 それは永遠の謎である、よくある物語の結句を頭にのぼせて、綾音は藤波の苦い表情を思い浮かべつつ、手紙を書き続けていた。今度会ったら、きっとこの件で議論になる。ああでもない、こうでもないとやり合って、トシさんを言い負かせよう、無性に楽しみだった。

つづく

コメント

_ あかね ― 2011/11/17 12:23

津々井茜のもうひとつの世界? かな?
新選組ファンの私が書いた、ファンタジーのようなものです。
私の小説ブログから持ってきました。

長めですので、①と②に分けました。
これでもまだ長いかもしれませんが、読んでやって下さいね。

_ 日向 美晴 ― 2011/11/20 23:16

あかねさん新撰組のファンなんですね^^
私、歴史チョット苦手なんですが;
NHKで新撰組しんごちゃんの大河観て少しは分かります
山南さん切腹のシーンは切なかったです。
掛け軸の女性。
ただでさえ、掛け軸ってなんか趣があって物語が出来そうですね。
ところで、あかねさん京都の人なんですか?
女将さんのセリフ、読みながら頭ん中、
京都のアクセントになってました。
口に出したら違うんでしょうけど^^;
女将になってました 私^^

_ あかね ― 2011/11/21 13:53

美晴さん

コメントありがとうございます。
そーかー、女将になっていたとは、そういう読み方もあるのですね。

私は生まれも育ちもばりばり大阪人です。
京都弁はなんとなくの感じで書いてるんですけど、まあ、一応耳になじみはありますものね。

関西弁って喋るのは簡単でも、書くとなるとけっこうむずかしいのですけど。

香取慎吾くんの「新選組!」私も大好きでした。
「龍馬伝」の慎吾くんとはまるっきりちがった近藤さんも好きでした。

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