小説(おまつりの夜)2011/09/10 12:23

「おまつりの夜」

     津々井 茜


 ちっとも涼しくない風でも風は風で、すこしはしのぎやすくなったような気がする。今夜はお祭りの夜。近所の神社には夜店が並ぶ。

 小さいころには姉も俺も浴衣を着せられて、父は家業の酒屋が忙しくて行けないものの、母に手を引かれて神社に連れていってもらった。たこ焼きやら綿菓子やらりんご飴やらを買ってもらって、金魚すくいをして、時々はお面なんかも買ってもらった。

 俺が小学生になると、姉とふたりでお祭りに行った。昼間はお神輿を担ぎ、町内会のおじさんにお菓子をもらい、夜には縁日に行く。三つ年上の姉が中学生になるころには、姉弟は別々に友達とお祭りに行くようになった。

 お祭りどきは酒屋のかきいれどきだから、両親は俺たちに小遣いをくれるだけで、気をつけて行っておいで、と送り出してくれる。姉は中学生になっても浴衣を着ていたが、俺はそんなものは窮屈だからいらないと言い、ランニングと半パン姿で友達と神社まで走っていった。

 幼いころにはお祭りの夜というだけで心が浮き立っていた。今年も楽しみでわくわくする。だけど、中学生にもなってお祭りが楽しみだなどと言うとガキっぽいかとも思う。両親は数日前から忙しく働いていて、俺は姉に尋ねた。

「姉ちゃん、今年は友達とお祭りに行くんか?」
「うん、行くよ」

 姉は高校生になり、なんだか綺麗になったように思える。ビールケースを運んでいる母のところに行って、言っていた。

「浴衣、着せて」
「ああ、浴衣やね。繁之、あんた、これ頼むわ」

 母に言われて俺がビールケースを運ぶ。父は軽トラの荷台にビールを積んで、お得意さまの家に配達に出向いていった。

「繁之、店番頼む」

 父がそう言い置いていったので、俺が店先にすわる。もう中学生なのだから、お祭りになんか行かずに店番をするべきか。でも、行きたいしなぁ、今年は誰とも約束してないけど、どうしようか、お客は来なくて暇なので、ぼけっとそんなことを考えていると、母の声が聞こえてきた。

「希恵、気をつけて……」
「ふんふん」
「希恵……そやからね……」
「……うん、わかってるって」

 ひそひそ話は一部しか聞こえない。姉が浴衣に着替えて下駄をつっかけて外に出ていくのを、母はなんとなく心配そうに見送っていた。

「繁之もお祭りに行っておいで。はい、お小遣い」
「店番せんでもええ?」
「お母さんがするから大丈夫。行っといで」

 そう言われると意地を張れなくなって、母にもらったお札をポケットにねじ込んで外に出た。

 生あたたかい風に吹かれて、神社への道のりを歩く。ざわめきが伝わってくる。焼いたイカの香りがしてくると、どうしてもうきうきして、俺は走り出した。

 田舎の小さな神社のお祭りでも、けっこうな賑わいだ。年末年始と夏祭りには人出も多くなる。酒屋と神社は似てるのかもな、なんて不謹慎な考えを抱いて、早速たこ焼きを買ってほおばった。夕食は早めにすませていたのに、俺の腹はいつもいつでもすいている。

「中学生の男の子ってのは、いつでも腹が減ってて当然や」

 父はそう言い、母ももっと食べ、たくさん食べ、と言ってくれる。なのだから俺はいつだってたくさん食べているにも関わらず、それでもいつでも空腹で、俺の胃腸には穴が空いているのかと思わなくもなく……。

「あ、姉ちゃん」

 黄色い花の咲いた浴衣のうしろ姿は、姉にちがいない。背中に声をかけようとして思いとどまったのは、姉がひとりではなかったからだ。姉の連れらしい奴は、女の子ではなかった。

 丸刈り頭のたくましい身体つきの男は、俺の知らない奴だ。野球部なのだろうか。そうだったらいいなぁ。姉と同じ高校の何年生なのか。姉の高校の野球部ならば、甲子園出場も夢ではないと言われている。もしも彼がそうなのだとしたら、姉は彼を応援しに甲子園に行かないだろうか。そしたら俺もついていけるのに。

 小学校のときには少年野球をやっていた俺にとって、あのころは甲子園は憧れの地だった。自分の才能のなさを知って、中学生になる前に野球はやめて、今は合唱をやっている。合唱も楽しくて大好きだけど、野球はもっと好きだ。知り合いが甲子園に出たりしたら、想像しただけで胸が高鳴る。

 彼が姉の彼氏だとしても、嫉妬だのなんだのを感じるなんてあり得ない。そうではなくて、彼は野球をやってるんだろうか、甲子園に行くんだろうか、と先走り想像をしていた。

 それでいてやっぱり気まずくて、七味唐辛子を売っている屋台の陰に隠れて窺う。姉と背の高い少年が俺の近くを通りすぎていく。彼は俺の知らない奴だし、姉は俺には気づかない。ちらっと見えた姉の横顔は彼に微笑みかけていて、眩しく俺の目に映った。

 よく考えてみれば、丸刈り頭でたくましい体格だからって、野球をやっているとも限らない。水泳選手も丸刈りかもしれない。それに、姉と同じ高校だとも決まったものではない。姉の彼氏だろうとは思うから、いずれは紹介してくれたりするんだろうか。

 でも、野球だったらいいなぁ。そうではなくても、運動をやっていてほしい。俺の義兄だったらスポーツマンがいい。またまた先走っていると気づいて苦笑しながら、俺もその場から離れた。

 顔を合わせたら姉も気まずいだろうから、ふたりが歩いていったのとは逆方向に歩く。ときおり友達と出会う。小学校のころから友達の泉水の顔も見えたが、泉水も男女合わせた友達何人かのグループで来ていたので、声はかけなかった。

 狭い町の小さな神社のお祭りなのだから、学校の友達に会うのも当たり前だ。姉だって同じ神社に来ているのだから、俺と会ったとしても平気なのかもしれない。泉水も楽しそうだったな。あの中には泉水の彼氏もいるのかな。

 高校生の姉だったら彼氏がいてもいいんだろうけど、俺と同い年の泉水に彼氏って、ませてないか? それとも、俺が遅れてるのかな。俺にだって好きな子はいなくはないけど。そう考えると、好きな女の子の顔が浮かぶ。それどころか、その子の顔が見えてきた。

「え? えええ?」
 幻ではなく本物だった。彼女がいたのだ。

 クラスメイトの中里さん。彼女も浴衣を着ていて、姉よりももっともっと綺麗に見える。ややふっくらした体格の、明るくて可愛い声をした女の子だ。なぜ好きになったのか、理由なんかないけれど、いつのころからか俺の視線は彼女に吸い寄せられるようになっていた。

 中学生になると体育の時間は男女が別々になる。時間割としては同じだから、男子が運動場にいれば女子もいる。白い体操服と紺のショートパンツの女の子たちの中で、中里さんは見分けられた。ちょっとたくましい太腿をしているのも可愛かった。

 浴衣姿ははじめて見る。小学校は別だったから、神社で会ったとしても意識もしていなかった。花火の柄の浴衣が愛らしくて、髪の毛をお団子にしているのも目新しい。中里さんはひとりでいるようだ。思い切って声をかけようか。

 一緒に歩かない? 俺にそんなことが言えるか。他の友達に見られて冷やかされたらどうする? 学校で噂になったらどうする? 恥ずかしくて学校に行けないじゃないか。

 そんなためらいが生じて行動を起こせない。偶然をよそおってそばに行き、あれ? 中里さんも来てたんか、とでも言ってびっくりしてみせようか。大げさに驚いてみせたら、中里さんも笑ってくれて、自然に一緒に歩けないだろうか。

 さりげなーく……なにげなーく……できるだろ。できるよ、やろうよ、後のことなんか考えずに、ここで会ったチャンスを逃さず、声をかけよう。大決心をして一歩踏み出したとき、彼女のそばに少年が歩み寄っていくのが見えた。

「ほら」
「うわ、大きいのがすくえたね」

 少年がビニール袋を中里さんの目の前にかざす。あいつは俺のクラスメートではないが、中里さんとは親しいのだろう。彼の持つ袋には透明な水が満たされていて、その中でオレンジいろの金魚が泳いでいた。

 姉だったらただ、彼氏といるのを眩しく見ていただけだ。ショックなんかじゃなかった。中里さんだってショックでもない。どうせ俺は、彼女が本当にひとりでいたとしても、声なんかかけられなかったにちがいないのだから。

 このほうがいいよな。声をかけて無視されたり、あんた、誰? と言われたりするよりも、このほうがよかったんだ。


おしまい