小説(子猫のしっぽ)2011/08/12 15:50

「子猫のしっぽ」


              津々井 茜


 我が家のミニャに子猫が生まれた。五匹の子猫は全部がもらわれていく先が決まっていて、僕もひと安心だ。

 一ヶ月ほど前に母が拾ってきたミニャを獣医に連れていくと、妊娠していると言われた。びっくり仰天はしたものの、拾った以上は面倒を見るのだと張り切った母が、子猫たちの里親も探してきた。

 僕の母親ながら、行動力はすげえよな、と感心するしかない。

 もとは野良だったのかもしれないが、意外にも人なつっこいミニャは我が家の庭で出産して育児をしている。子猫たちも猫らしくなってきて、ぴいぴいにゃあにゃあ大騒ぎ。いたずらっ子が寝床から飛び出しては、ミニャに首筋をくわえて連れ戻されるようにもなってきたから、大きくなってきているのだろう。

 今日は庭先にごろっと寝そべったミニャは、子猫たちに授乳中。僕はしばらくそんな風景を見てから、部屋に入っていった。宿題をしなくてはならない。僕の部屋からは庭が見えるので、なにかあったとしても大丈夫だろうと、机に向かった。

 しばらくは英文和訳なんていう難題に頭をシェイクされていて、ミニャを忘れていた。思い出したのは、子猫の悲鳴でだった。

「ええ?」

 見ると、庭には見知らぬ女の子がいる。女の子がミニャの子供の一匹のしっぽをぶらさげている。ミニャは怒ってしゃーしゃーと女の子を威嚇してるってのに、女の子は怖がってもいない。ガキのくせして、なのか、ガキだからこそなのか、母親猫の怖さを知らないと見える。

「やめろよ」

 部屋の窓から僕が言っても、女の子は知らん顔をする。生意気なその子に腹を立てたのも、このまま放置するとミニャがこの子に飛びかかるのではないかと思ったのもあって、僕は窓から庭へと飛び出した。

「こんなちっちゃいのになにをするんだよ」

 庭に着地して走り寄り、女の子の手からちびを取り戻したのと、怒り狂ったミニャが女の子に飛びかかろうとしたのが同時だった。子猫たちは母猫の怒りで跳ね飛ばされ、僕は咄嗟に女の子の前に立ちふさがった。

 暑い日で僕はショートパンツを穿いていた。だもんだから、裸の脛にモロにミニャの爪と牙攻撃を受けたのだ。僕はさっきの子猫の百倍くらいの音響の悲鳴を上げた。

「いてーっっっっっ!!」

 その声にミニャがはじき飛ばされたようになり、女の子も目を見開いて飛び上がった。ミニャの威嚇は怖くなかったにしても、高校生のお兄さんの悲鳴と、脛から流れる血は怖かったのか、女の子は猛スピードで走って逃げていった。


「サトル、お医者に行けば?」
「平気だよ。こんなもんは舐めたら治る」
「ミニャに舐めてもらう?」
「自分で舐めるよ」

 母とアホな話をしている僕を、ミニャが不思議そうに見ている。子猫たちは大きな毛糸玉みたいに固まって眠り、母は救急箱を持ってきて僕の怪我の手当てをしてくれた。

「そうだったのね。サトルは知らない女の子が、ちびのうちの一匹のしっぽをつかんでぶらさげて、止めようとしたサトルにミニャが負傷させたんだ」

「負傷ってほどでもないけど、そうだよ。噛まれたんだしひっかかれたんだから痛かったけど、それほど深い傷でもないだろ」
「死にはしないよね」

 軽く言ったものの、母は僕の傷を消毒して包帯を巻いてくれた。

「……子猫は体重が少ないから、しっぽをぶらさげられても意外と平気みたいよ。大人の猫のしっぽは延髄につながってるんだから、そんなことをされたら死んじゃうかもしれなくて、だから猫はしっぽをつかむとものすごく怒るのよ」

 子供のころから猫好きで、けれど、親が猫嫌いだった。結婚してからも小さいマンション住まいで、母は猫と暮らせなかったらしい。小さいころには捨て猫を拾ったこともあるけど、もう一度捨ててきなさい、ってお母さんに言われたわ、と言っていた。

 最近になってようやく一軒家に引っ越してミニャを拾って、子猫も生まれて満足している母は猫には詳しい。僕の傷の手当をしながら、そんな話をした。

「だけど、その子、どうして子猫のしっぽを……」
「知らないよ。僕だって聞きたかったけど、逃げていっちまったんだから」

「小学生か中学生ってところ?」
「そんなものかな。男の子っぽい、おしゃれなんかに興味なさそうな格好をしてた」

 女の子の服装なんかは注意して見なかったけれど、男の子みたいなパンツルックで、男の子みたいに髪が短くて、けれど、可愛い顔をしていたのは覚えていた。

「可愛いったって、子猫のしっぽをぶらさげる奴は性格は可愛くねーよな」
「そうなのかなぁ。どうしてそんなことをしたのかなぁ」
「性格が悪いからだろ」

 単なる苛めっ子だ。僕にはそうとしか考えられなかったけど、母は悩ましそうな顔をして首をひねっていた。


 庭で小声で会話している声が聞こえてきて、僕はぼんやりと目を開けた。女の声がふたつ……一方は母だろう。一方は子供?

「……だってね、あたしにはママがいないのに、子猫たちにはママがいて甘えてるから……」
「それでやきもち妬いたの? だからって子猫のしっぽを引っ張るのはよくないな」

「そうなんだろうけど……それだけじゃないんだよ」
「え?」

 急に女の子の声が変化したように思えた。

「真知子ちゃんは覚えてないの?」
 真知子とは母の名前だ。父は家の中で眠っているのか、ミニャも子供たちと眠っているのか。大人と子供の女の声がふたつだけ、僕の耳に聞こえてきた。

「真知子ちゃんが小学生のころだよね。あたしは真知子ちゃんに拾われて、真知子ちゃんのおうちに連れて帰られた。でも、真知子ちゃんのママが言ったんだよね。うちでは子猫なんか飼えません、もとの場所に捨ててきなさい」
「……あの……」

「それで真知子ちゃんは泣きながら、あたしを抱いて捨てられていたところに戻してきた。次の日の朝にはあたしはいなかったでしょ。誰かが拾ってくれたんだって、真知子ちゃんはそう思おうとした。そうじゃなかったんだけど、あたしはほんのちょっと間だけは嬉しかったよ。真知子ちゃんは大好きだったよ」
「あなたは……?」

「だから、子猫たちにもやきもちを妬いたけど、ミニャにもやきもち。ミニャは真知子ちゃんに拾われて、こうして子供まで産んでぬくぬくしてる。運がいいってだけなんだろか」
「……あの、なにが……」

 母の声は戸惑っていて、女の子のほうは子供だとは思えない調子で喋っていた。

「でも、しようがないよね。サトルくんにも言っておいて。ううん、自分で言おうっと」
「帰るの? ……あなたのような小さな女の子が……ひとりで今時分にうちまで?」
「平気だよ。ああ、でも、平気じゃないのかな」

 そうだな、いけないよな、と僕は思い、起き上がってパジャマを脱いで普段着に着替えた。彼女は僕になにを言いたいのか、気がかりでもあったから、窓を開けた。

「僕が送っていくよ」
「サトル……」

 なんとなくぼーっとした顔で母が僕を見る。母が話していた相手は、もちろん昼間の女の子。ミニャの子供のしっぽをつかんだガキだった。

「母さんは寝てて」
「あ、ああ、そうね」
「おやすみなさい」

 女の子が母に挨拶し、母はぼーっとしたまんまでうなずく。僕は女の子とふたりして外に出た。

「きみって人間じゃないの?」
「人間だよ。人間のミカはママのいない中学校の一年生で、ミニャに甘えておっぱいをもらってる子猫にやきもちを妬いたの。そんなミカを見ていたのがあたし」

「あたしって?」
「サトルくんはあなたのお母さんと、あたしの話を聞いてたんでしょ」

 「あたし」と「ミカ」は別の存在なのか。説明はしてもらわなくてもわかる気もした。

「ややこしいな」
「そうかもしれないけど、だから、今、喋ってるのはあたし。名前もないままに野良犬に食べられた、ちっちゃな猫の魂」
 すこしだけぞっとして、それでいて切なくなった。

「ミカってその猫の生まれ変わり?」
「そうなのかもしれないけど、出てくるのは今夜だけだよ。サトルくんってわりとかっこいいよね。高校一年? 三つ年上か。ミカを可愛いと思ったんでしょ。三年待って。サトルくんが大学生になって、ミカが高校生になったら、彼女になってあげる」

「そんな約束……できるかよっ!!」
 きゃは、可愛い、とか言って、見た目はミカの女の子が笑っている。僕はガキにからかわれているのかもしれないのだが、彼女になってあげる、なんて言われたら嬉しくなくもなかった。

「サトルくんはあの真知子さんの息子なんだもの。いいひとに決まってる」
「あのさ、僕に言うってなにを?」
「ああ、ごめんなさい。痛かったでしょ」

「この怪我か?」
「あたしのせいでもあり、ミカのせいでもある。明日になったらミカは今夜のことは忘れてるだろうけど、サトルくんが好きってのは残るはずだよ。嬉しいんでしょ」

「嬉しくねえよ」
「ごめんなさいと約束の意味の、これは?」
「……あ」

 ゆっくり歩いていても、ミカの家であるらしい住宅の前に来ていた。ミカは背伸びして僕のほっぺたにキスをして、猫みたいに足音も立てずに走っていって、門の中に飛び込む。僕はただぼけーっと、ミカを見送っていた。

「ガキのくせに……」
 だけど、今夜だけはミカは半分は猫だったのか。おとぎ話のようなあんな話、信じられない気もすれば、信じたい気もする。

 猫だったのだとしても子猫だったくせに、ミカもその猫もませている。まあいいけどさ、楽しみだな。僕には三年後に彼女になってくれるって、予約済みの女の子ができた。高校生になったミカは美少女になるんだろうなぁ。

 ひとりになった帰り道、ミカが彼女になったら僕のほうからキスしよう、なんて考える。人間のミカはたしかにいるのだから、三年後には……って、そのときにはもう一度、僕のほうから告白しなくちゃいけないんだろうか。

END


★いいわけ

胸きゅんサトルくんストーリィになりましたでしょうか。
気に入ってもらえたらいいのですが。